《『政(まつりごと)の心』を求めて》 第42回 ―「 日本政治の現状(4) 」―
政党による政治の終わりか (1)
昨年の8月30日、わが国で初めて民衆の手による政権交代、それは民衆の力による初めての国家権力の確立であった。それにより、民主党を中心とする政権ができ、自民党が歴史的敗北し、55年間続いた政・官・業のゆ着政治に終止符が打たれた。
この日より明治23年より続いたわが国の政党政治に異変を起したと思うのは、私だけだろうか。もしかしたら日本では「政党による政治が終わり」、新しい政治の仕組づくりが必要かも知れない。こんな気がしてきた。

そもそも、近代議会政治とは政党を主人公とした「政党政治」だと、いわれてきた。わが国の憲法には「政党」という文字はない。国会法には「会派」という用語があり、これが政党とよく間違えられるが、議事法規上は別である。政党は任意国体であった。
その後、公職選挙法で参院に政党を選択する「比例制度」が導入されたのが、昭和58年からであった。衆院では平成8年から「比例代表制」が導入され、政党を選挙によって選択することになった。さらに政党助成法が制定され、政党が議会政治の制度的主人公になったのは、ごく最近のことである。
一体「政党」とは何か
それでは一体「政党」とは何か。それらの法律にどう定義されているのか調べてみよう。政党助成法は第二条で政党を、政治資金規正法による「政治団体」とした。それは「政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対することを本来の目的とする団体」となっている。
わかりやすくいえば、「政治理念や政策を実現することを目的とする団体」となる。となると、一定の規律と組織のもと、共通の政治理念と政策をもち、国や地方の議会議員を当選させ、国では内閣を構成し、地方では首長の選挙や政治に関ることが政党の役割となる。
このために政党が存立できるのは、国民有権者の支持である。要するに国民の政治的要求を組み挙げ、国民を説得して国家の意思として法律や予算などにより政策をつくり実行することが、政党の能力だといえる。
これは政党の役割としての一般論だが、現実として日本の政党が本来の機能を果たしているか、どうか、私はきわめて大きな疑問を持っている。特に21世紀になって、情報社会化とグローバル化によって、これまでの政党のあり方が大きな問題になっている。
そこで日本に現存するあらゆる政党が、適切に国民の意思を組み挙げ、それを法制度や政策として国民のためになる政治を行っているのか。根本的にチェックする必要がある。私は、現存するすべての政党が、現在、日本と国民が必要とする政治や政策実現の邪魔をしているのではないか、と思っている。
政権与党の民主党

まず、政権与党の民主党を取り上げて点検してみよう。
民主党は、綱領という政党の基本理念を持たない不思議な政党である。その理由は、隠れ革マル派から自民党55年体制の尻尾をつけた人たちまで包み込んだ政党であることだ。思想的には新自由主義といわれる小泉・竹中路線に信条をもつ人たちから、労組の既得権から脱けられない人々、そして共生社会をつくろうという人たちが混合している。
結党の歴史やその後の合流などの経験からこのことを批判するつもりはない。大いに議論して、新しい国家社会にふさわしい政党に成長してもらいたい。なぜ、昨年の総選挙で圧勝ができたのか。いろんな原因があり、私も何度か論じさせてもらった。
これまで論じなかったことだが、民主党の政党としての思想のまとまりのなさ、「ファジー」さが勝利の原因といえないだろうか。これが情報化時代の民衆のファジーさと共鳴したのだ。しかし、政党はそれでよいのだろうか。