月の禮道 釈氏憲法 第三条
戒は諸佛の極を立つる大門なり。
故に、法身の舎那は花藏を先に説き、應化の釋迦は鹿
野を先に説く。是れ衆僧、戒を受けて僧に入る。
以て戒を破るは僧に非ず。戒ありて是れ僧なり、
戒を退くは僧に非ず。
心は戒に依りて理り、徳は戒に依りて成る。
戒を破り戒を無す沙門は、未だ自らを化き得ざるなり。
何ぞ人に教えられんや。
是、國を費す遊民にして、王者の放徒なり。
かいはしょぶつのきわめをたつるだいもんなり。
ゆえに、ほっしんのしゃなはけぞうをさきにとき、おうけのしゃかはろく
やをさきにとく。これしゅうそう、かいをうけてわごうそうにいる。
もってかいをやぶるはそうにあらず。かいありてこれそうなり、
かいをしりぞくはそうにあらず。
こころはかいによりておさまり、とくはかいによりてつまれる。
かいをやぶりかいをなみすしゃもんは、いまだみずからをみちびきえざるなり。
なんぞひとにおしえられんや。
これ、くにをついやすあそびにんにして、みかどのほうとなり。
戒は、諸仏が立つ大門である。
ゆえに法身の遮那は蓮華蔵世界をまず説き、応化(応身仏)の釈迦は
鹿野でまず説いて、衆僧は戒を受けて僧になった。
戒を破ればもはや僧ではない。戒があれば僧、
戒を退ければ僧でない。
心は戒によっておさまり、徳は戒によって積まれるのである。
無戒、破戒の沙門は、いまだ自らを教化できないのに、
どうして人を教えられよう。
このような僧は、国帑を費やす遊民であり、王者の放徒である。

〝僧は戒律を守り実践することが第一である。この修行なくしては、僧とは言えぬ。戒を破り無視する僧は、国を食い潰す遊び人だ〟と示されています。