高校で入部した野球部の監督が相撲部を兼任。体が少し大きいからと県大会に連れていってもらい、翌年優勝したことが角界入りのきっかけになったという玉ノ井初代親方。まわしの締め方もわからなかった16歳から、65歳の定年まで、50年間、相撲一筋に歩んでこられました。
師匠である春日野親方から教えられたこと、また、自身が親方になり、後継者育成をされた中から話をして頂きました。
「夢を持て!ゆっくり夢に近づくのがいいんだ!夢を捨ててはダメだ。相撲は気迫だ」。
春日野親方の教えです。
師匠は、将来、横綱になり協会の理事長になったら、国技館を蔵前から元の両国にもってくるという夢を持ち、それを現実にした人です。
「まむしの栃錦」と言われ、7連敗をして8連勝をした記録は未だに破られていません。
そういう師匠の口癖は、とにかく「最後まで諦めるな」でした。師匠のもとに入門できたのは運が良かったと思います。
師匠の言うことは絶対
田舎を出てくるとき、おふくろから「強くなかったら恥ずかしいから帰ってくるな」と言われ、4年で十両に上がり帰ってくるという約束をしました。

入ってみたら、やはりそう簡単にはいきませんでしたが、〝師匠の言うことは絶対〟と信じて聞いていました。
「見るのも稽古。それをまねして覚えるのが自分の一番身になる」。
実際にそうです。人に言われてやるよりも、自分から進んでやらなければ相撲は強くならない。覚えなければうるさく言われました。
また、当時は巡業も多く、洗濯板とたらいの時代です。浴衣の洗い方等々、色々なことを教わりながら、相撲をしていました。そういうことをやりたくなかったら、早く強くなれ、という社会でした。
そして、師匠の引退相撲を観て、強くなれば引退相撲と、断髪式で皆から鋏みをいれてもらい辞めることができる、ということを初めて知ったのです。
強くなって国技館で断髪式をすることが最初の夢になり、さらに稽古に精進しました。
相撲の世界も人との出会いが力
それから初の十両昇進のチャンス。この一番に勝った時の嬉しさは忘れられません。
十両は、多くの力士がまず目標にするもので、十両に上がった時が一番嬉しいと答えます。それだけの差が十両と幕下にはあります。そして3役に上がると、怪我も多くなる。勝負の世界も人との出会いがとても大事で、「もうだめだ」というとき、力になるのは皆さんの応援です。
幕内に上がって田舎に帰った時、花火があがったのも忘れられません。
そういった色々な経験と、先代の師匠の言葉が力になり、技能賞6回、殊勲賞4回(ダブルで4回)、優勝ができました。
教えを守り、自分の形というものをつくったことが、これらの結果につながったと思います。
良いものを徹底して生かす
引退後、部屋を持ち、後継者を考えていたときに実子の栃東が部屋に入ってきました。その頃は、曙、武蔵丸、貴ノ浪、貴乃花と体の大きい力士が多かったため、栃東には横から攻めるという形を徹底して教えました。
そうしなければ勝てないということもありましたが、もう一つは、将来の部屋の継承を考え、良いものを伸ばしてあげることを教え込んだのです。殴ったりしたこともあります。
大関から2度落ち、復活したのは栃東だけ、格段優勝したというのも羽黒山と栃東しかいません。
自分の教えが悪かったのではないかと悩んだときもありましたが、この社会を生きていく上で、「良いものを徹底して生かす」ということは、間違っていなかったと思っています。
「心・技・体」という言葉がありますが、相撲は心・技・体と一体となって、稽古の積み重ねによってできるものです。稽古なくしてそれはできない。心・技・体で頑張るものです。これが一番大事なことです。